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癒唄です(・∀・♪)

2年生になりました☆今年度もぐだぐだな日記ばかりですがどうぞよろしく(笑

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 常識Part2
ちょっと考えたり、感覚的に得た結論が誤ってる場合もしばしばあります。

冷房と暖房、どっちが電気代かかる?なんて良い例で

ちょっと考えると

物を暖めるにはやたらと擦ったり、電池と抵抗と繋いでスイッチONにすれば簡単にできるけど

物を冷やすというのはそこまで原始的な(?)方法でできそうにない・・・

なんとなく、感覚的にも、冷房の方が電気代かかる気しません?俺だけですかね。

少なくとも、「今の理由によって冷房のほうが電気代がかかる」と言われると「みんなが納得してるんであれば反論したらKYかな」という気になるんじゃないでしょうか。

実際には暖房のほうがかかる"らしい"んですけど。

誤った「常識」ができあがる過程はよくわからないけど、それが支持されるっていうのはこういうことがよく起きてるからじゃないのかな?

小学校や中学校で、「なんで?」って思っても空気読んでそのままにした経験ありません?教育に問題がある!って主張してるんじゃないですけど。

いまだに俺は、素朴な「なんで?」をよく人に投げかけて非常識扱いされるんです。今回の記事もそれがきっかけです。

最近話題の食糧自給率…

低いとなんでダメなんですか…?

別に低くても良いなんて言いたいんじゃなくて、本当にそうなの?って疑問に思ってるだけです。

まさか「低いからダメ(イメージが悪い)」なんて言う人がいればあまり相手にされませんよね。

「低いと〜だからまずいんだ」って説得力を持って説明することを誰しもが望むはずです。

「もし食糧の輸入がストップされたら・・・」って言う人には

「もし地球外生命体が地球を攻めてきたらまずいから、地球人全員武装してたほうが良いんですかね?」って聞き返します。

日本への輸出をストップする場合、それは日本への輸出をやめる便益が日本への輸出で得られる便益を上回る状態です。

また日本へ食糧を輸出している国は1つではないので、全てではないにしろ多くの国が一斉に輸出をやめるのはどういう場合ですか?

ということを素朴に思います。

これが具体的に示されて、十分に起こり得ることでなければ「もし・・・」と考えることはそこまで有用ではありません。まぁ「こういう場合…」と言われてそれが十分に起こり得るのであれば納得しますが。

そしてもうひとつ。先ほどこの件で父親と議論しましたが・・・

「将来的に資源がなくなっていけば、当たり前のごとく日本には売ってもらえなくなる。」

と言われました。この点に異論はありません。

「だから日本も食糧を自給できた方がいい」とすぐに結論づけられたのですが果たしてそうなんでしょうか?

ちょっと経済学をかじった人間には

「畳職人にも自分の布団は自分で作らせ、布団職人にも自分の畳は自分で作らせよ」と言っているように聞こえるのです。

早い話、分業の利益を損なうのでは?と言いたいわけです。

もし
農業国を日本が援助して代わりに食糧を提供してもらうことにより双方にとっての利益(単に経営上のものではなく食糧の生産能率といった意味も含めて)を生み出すことができて
かつ
その費用が対応する食糧自給率をあげるのに必要なコストを下回るのであれば
そんなに躍起になって自給率を上げなくても・・・という結論に至るでしょう。

当然「もし…」の域は脱しないのですが、そんなにあり得ない「もし」ですかね?

一応いっとくと、食糧が最後の何単位かになって、値段等つけようがない(資本主義が崩壊した)状況までは想定してません。そこまでいくと国という単位で議論することがあまり意味をなさないんじゃないか?国内でも値段が高騰して、そもそも所有権も何もなくなる気がする。

んでまぁ、この考えがボコボコに反駁されたとしても

「自給率は高いほうが良い」っていう常識を常識だからという理由で受け入れて判断を下すのは危険ってことは感じてもらえませんかね。

こんな話をしたら父親は目の色を変えて「常識的に考えろ」とか「いつもいつも学問で説明がつくわけじゃない」とか言うんです。どちらの反応にも個人的にはうんざりしてるんですが(笑



もし食糧自給率が低くても大して問題ではないというのが真実だったとすればどうだろう?

教育課程において多くの素直な小学生や中学生は「なんで?」と聞かないまま「自給率は高いほうが良い」っていう強いイメージを持った大人になり、「常識だから」と言って次の世代に教え込み…常識が疑われる機会がどんどん減るのではないだろうか。昔からの「常識」ほど地位が確立してしまう。

常識と真実が異なるのであれば、これが望ましいことだという人はいないでしょう。

卑近な例だからそんな大げさな・・・と思われるかもしれないけど

そういう問題意識って必要だと思う。

別に自給率の話はどうでも良い。

常識といわれるからにはそれなりの理由がある場合だってある。難しいからそれを言わないだけで・・・とか。色々あるから。

でも・・・

三輪先生も本で言ってるし(本当に是非読んでみて!)、俺も痛感してるけど

空気を読まずに「なんで?」って言えないのは結局みんなで不幸せになってる気がする。


追記:
参考までに…
そもそも自給率ってただの定義量なんで、数字そのものをあげることが目的ではあまり意味がありません。そういう定義量を扱う感覚ってのも重要かな。どっかの入試問題であったけど、食べ残しをなくせば自給率っていう数字はあがりますよ。
この場合は、もし食べ残し禁止令が実行可能であれば輸入食糧のみが減ります。だから数字はあがるけど、国内で作られる食糧が増えたわけじゃない。
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(2008/07/07(月) 01:44)

 常識Part1
って何なんですかね。

今更定番の疑問を抱いてみる。

固執する必要はないけど、知っておくべきこと

というのが俺なりの判断です。

もちろんこれは定義ではなく現象というのか?まぁ性質といったところ。

円周率πが3.14…なこと。ネイピア数eが2.71・・・なこと。地表付近の重力加速度gが9.8・・・なこと。

理工系の学生にとってはこれらは「常識」でしょう。

ちょっと概算…みたいなときに知らないと話にならない。

ただ、初等教育は少なくとも受けた日本人全体にとって「常識」と言えるのは円周率くらいじゃなかろうか。

これを考えればすぐに「常識」が「常識」である範囲は一定ではなく、色々な要因に依存することがわかる。

ってゆーかそもそも「常識」を「殆どみんなが共有している知識」みたいに定義すればその「みんな」の範囲が具体的には示されないから当たり前といえば当たり前。

「常識的に考えて…」って言い回しはちょっと意味が違うのかな?

同じノリで「きっとみんなが思うことには・・・」ってことを意味するのかな?

まぁどちらもあるとして、俺的に問題なのは

常識っていつも正しいの?ってこと。

…これに対する答えは明らかでしょうね。

さすがに「いつも」正しいわけはない。よってYes/No Questionならほぼ間違いなくNo。

こんな屁理屈はいいとして・・・

「常識」であることを理由にそれが正しいと思われてる場合が意外にも多いんじゃないのかなぁと最近つくづく思うのです。

はるか昔天動説が「常識」であったのは宗教的な理由もあったとは聞くけど

「常識」であることに対する信仰に近いものって現代でもあるんじゃないかな。

学校の教科書に書いてあった「常識」的なことも、研究者や専門家の間では馬鹿にされてることって結構あります。

 この点については、俺が経済習ってる三輪先生の本をお勧め。

 「経済学の使い方 実証的日本経済論入門」三輪芳郎/J・マーク・ラムザイヤー
 日本評論社

 すっごく俺と考え方が似ているお方です。
 是非手に取って読んでみると良いでしょう。
 暗記の得意な優等生ちゃんには結構ショッキング〜wなことばかり書いてあります。

宣伝は良いとして

もうひとつ、「常識的に…」というのが「多数の人間の感覚的に…」という意味合いであれば

ちょっと考えれば全然違ったというケースの存在を考えれば

「常識的に」考えたことを結論にするのは慎重とは言えないのは自明でしょう。



・・・なんか長くなってきたので、読みにくいと悪いし2つの記事にわけることにします。笑

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(2008/07/07(月) 00:55)

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